NozakaArchitects&Design,Tokyo
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にっとうざか:日糖坂ともいい、日東紡あるいは日本製糖の用地があったからと伝える。大正初年に開かれた坂と推定される。

かすみざか:明治初年に霞山稲荷(現在の桜田神社)から霞町の町名ができ、そこを貫通する道が明治二十年代に開かれて霞坂と呼んだ。

しんざか:できた当時は新しい坂の意味だったが、開かれたのは古く、元禄十二年(1699年)である。しんさかとも発音する。

いなりざか:坂下北側に円通院があり、その境内の稲荷への門があったための坂名。坂上に江戸城中清掃役の町があり、掃除坂ともいう。

さんぷんざか:急坂のため通る車賃を銀三分(さんぷん:百円余)増したためという。坂下の渡し賃一分に対していったとの説もある。「さんぶ」では四分の三両になるので誤り。

もとひかわざか:坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治十六年四月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた。

たんばだにざか:元和年間旗本岡部丹波守の屋敷ができ、坂下を丹波谷と言った。明治初年この坂を開き、谷の名から坂の名称とした。

せんだいざか:坂の南部一帯が、仙台藩伊達家の下屋敷であったところから、その名を呼ぶことになった。

だいこくざか:大国坂とも書く。坂の中腹北側に大黒天(港区七福神のひとつ)をまつる大法寺があったために呼んだ坂名である。

しちめんざか:坂の東側にあった本善寺(戦後五反田へ移転)に七面大明神の木像が安置されていたためにできた名称である。

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