Photos by goagoa : on the map, in Google Earth (KML)
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goagoa's conversations
飯田山の八合目に位置する天台宗寺院。平安時代末期(1140~1150年頃)に比叡山第47代座主忠尋の高弟である真俊により開基された説、敏達天皇12年に日羅上人が百済から千手観音と九重の塔を持ち渡って開基したなど諸説ある。盛時は36の僧坊に300名近くの僧侶が修行に励んでいたが、次第に荒廃していった。寛永4(1627)年に円斉豪澄により再興の発願がおこなわれ、観音堂の原形が形成された。本尊は十一面千手観音で脇侍に不動明王と毘沙門を祀る三尊形式をとっている。常楽寺は天台・真言・浄土宗に禅宗を加えた四宗の学問と修行道場としての性格を持つ寺院であったと考えられ、後に天皇家の菩提寺となる京都泉涌寺を開基した僧俊じょうを輩出している。山門(仁王門)への石段は「乱れ積法」という珍しい作りである。本尊「木造十一面千手観音立像」及び「神仏像」の15躯は益城町指定文化財。 (熊本県上益城郡益城町ホームページより)
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●所在地:熊本県八代市坂本村鎌瀬 JR肥薩線、 鎌瀬駅-瀬戸石駅、球磨川 ●完成年:1908年(明治41年) ●設計者:クーパー、シュナイダー ●施工者:鉄道省(直轄施工) ●管理者:JR九州 ●文化財指定等: ●延長:205m、単線 ●形式:単線曲弦プラットトラス(ピン結合)単線上路プレートガーダー ●径間:数x支間 (1-3)325.4m,(4,5)262.70m ●下部工:橋台/煉瓦,切石積 橋脚/煉瓦,切石積 第一球磨川橋梁は、球磨川により添うように走るJR九州肥薩線の鉄道橋です。JR肥薩線は、八代市から人吉市、鹿児島、宮崎へと通じる鉄道ですが、球磨川を4回横断し、その橋梁のひとつが第一球磨川橋梁です。 明治41年に架設され、トラス節点には架設された当時のピン結合がそのまま残り、現在では珍しい存在となっています。架設当時の製鋼技術に起因していることでもありますが、複数の小断面部材を組み合わせて1本の部材が構成されており、時の経過を感じさせる橋でもあります。 第一球磨川橋梁は、アメリカ人技師クーパーとシュナイダーが設計し、アメリカン・ブリッジ社が製作した橋です。トラス部には、”1906 AMERICAN BRIDGE Co. NEWYORK U.S.A”との刻印が施されているのが確認できます。ピン結合方式のトラス橋で、トランケート(切り詰め)式と呼ばれ、川に対して斜角がついており、斜めに川を渡っています。当時は、この方式が各地で採用されました。中でもこの橋は橋脚上の連結部に60度の斜角がついた「トランケート式」で、同じ路線の同県球磨村にある「第二球 磨川橋梁」とともに、全国に二つしか残っていないといわれています。 球磨川の流れに逆らわない橋脚は、橋台部が煉瓦、橋脚部は切石積みによって造られています。(出典:土木遺産in九州)
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霊台橋(れいたいきょう)は熊本県美里町緑川に江戸時代後期に架けられた石橋。船津橋という別名を持つ。昭和42年(1967年)6月15日、国の重要文化財に指定された。
単一アーチ式石橋としては日本3位の径間を誇る。1998年行われた調査で、大分県豊後大野市にある轟橋(昭和7年(1934年)架橋)と出會橋(大正14年(1925年)架橋)の方が径間が広い事が分かった。しかし近年の調査であるため、現在でも日本一と紹介されることがある。 なお明治以前に完成した石橋の中では日本一である。
国道218号沿いにあり、周囲は10台ほど停められる駐車場、トイレ、売店、展望台があるなど整備されている。緑川水系にはこの他にも通潤橋、聖橋など多くの石橋がある。
[編集] 歴史
霊台橋が架けられた場所は、昔の街道である日向往還の一部だったが、船津峡と呼ばれる深い渓谷で緑川の中でも流れの速いところだった。橋が無いころは下流で船渡しを行っていたが雨が降り増水すると使用できなくなり、さらに荷を抱えて渓谷を昇り降りするのは負担で、役所も急用の際は矢に通信文を結び連絡していたほどだった。 そこで庄屋の提案で木橋を架けたが再三流され、後の庄屋が二度と流されることの無い石橋の架橋を決心し、種山石工の卯助に建設を依頼した。
卯助は兄弟の宇市、丈八さらに地元の大工・伴七とともに弘化3年(1846年)工事を開始し、翌年の弘化4年(1847年)当時としては前例の無い大きさの石橋を完成させた。梅雨と台風が来る季節を避けて造られたためわずか6-7か月の工事期間であり、参加した大工の数は72人、地元の農民の協力のもと延べ43,967人が工事に参加した。地元の農民の協力で予定より早く工事が終わったことが、中国の古典「孟子」の中の文王霊台建造の話に類似すると考えた庄屋は、この故事にあやかり「霊台橋」と名付けた。霊台とは物見台の意味である。 しかしあまりの大工事に心労が重なり、卯助は以後二度と石橋を造らなくなったという。
明治33年(1900年)県道の一部とされた際、石橋の上にさらに石垣を積んで石橋上の道を平らにし、バスやトラックなど大型車を含む車が通れるようにした。昭和41年(1966年)5月、上流側に並行するようにして鉄骨製の新霊台橋ができ、以後石橋は自動車の侵入が禁止された。
現在は観光用となり、翌年に重要文化財の指定を受けた。昭和55年(1980年)より完成当時の姿に復元する工事が行われ現在に至る。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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古刹正福寺住職夫妻
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真幸駅(まさきえき)は、宮崎県えびの市内竪にある、九州旅客鉄道肥薩線の駅。宮崎県で最初に出来た駅である。
「真の幸せに入る」に通じるとして、入場券などで人気がある。度重なる土石流災害に住民は移転し現在は周辺に人家一つない「秘境駅」のひとつ。
その名前に反して、真幸駅とその前後の線路には悲しい歴史が残っている。
1945年(昭和20年)8月22日、多数の復員軍人を乗せた列車が吉松駅との間にある第二山の神トンネル内で立ち往生してしまった。空襲攻撃により鹿児島本線や日豊本線の主要橋梁の落下被害で唯一の運転ルートだった事や戦時中の酷使による機関車の疲弊、粗悪石炭使用による馬力不足に加えて復員軍人で満員状態であったことなどが原因であった。蒸気機関車の煙に巻かれた多くの復員軍人達がトンネル内を歩いて脱出しようとしたところ、これを知らない機関士が列車を後退させてしまい、53名が轢死してしまうという事故となったのである。以後、このトンネル内に人の話し声が聞こえたり話しかけた声に返事が返ってくるなどといった心霊現象が起こるという。この事故は観光列車「いさぶろう」「しんぺい」車内でも説明される。なお、この事故があったあたりに復員軍人殉難碑が建っている。詳しくは肥薩線列車退行事故を参照。
1972年7月6日、折からの活発化していた梅雨前線によってもたらされた大雨の影響で、駅の裏山斜面が8合目付近から高さ350m×幅280mにわたって崩壊し、これが土石流となって真幸駅構内と周囲の集落を飲み込み、死者4名、負傷者5名のほか、住家28棟、非住家29棟流失の被害を出した。14時15分頃から5回にわたって発生した土石流の土砂は、合わせて約30万m³もの膨大な量に及び、肥薩線を切断し真幸駅構内を土砂で埋め尽くすと共に、白川沿いに約1.5kmの広範囲に渡って流出した。これによって真幸駅周辺は無人地帯となってしまったのである。なお、この土石流は、現在においても宮崎県最大規模のものとされている。また、ホームにはこのとき流れ込んだ重さ約8トンの巨石が、そのまま残されている
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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島式ホーム3面6線を持つ地上駅。ホームに接する本線のほかに通過線もある。駅舎とホーム間は2本の地下通路でつながっている。
駅舎は1911年(明治44年)3月に完成した2代目のもので、九州鉄道時代に建築された大規模駅舎である。ホームの屋根を支える鉄柱は明治時代に製造されたレールを利用し建築されている。現在はホームの改装工事中で、それに伴ってホームと地下通路を昇降するエレベーターが設置されている。5番のりばのホームの柱は肥前麓側から順に青・赤・緑の3色にペイントされている。「かもめ・みどり・ハウステンボス」の3階建て列車を想定し、青が「かもめ」、赤が「ハウステンボス」、緑が「みどり」の停車位置を示している。2階建て列車や単独列車の場合は前に詰めて考える。例えば「かもめ・みどり」では青が「かもめ」、赤が「みどり」となる。
JR九州の直営駅であり、みどりの窓口・自動改札機が設置されている。駅自動放送が導入されている。
駅の改札口は西側にしかないが、東側から駅を利用したり東側へ出たりしたい場合(たとえば鳥栖スタジアムへの行き来)の利便のため、駅を出てすぐ傍に「虹の橋」という跨線橋がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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筑後川昇開橋は、日本国有鉄道佐賀線の鉄道橋梁として建設され、1935年(昭和10年)竣工、同年5月25日に開業した。舟運との共存のため、橋の一部が可動式となっている可動橋には旋回橋、跳開橋(跳ね橋)、昇開橋などがあるが、本橋は橋桁の一部が垂直方向に上下する昇開橋として日本に現存する最古のものである。橋の全長は507.2メートル、可動部分の長さは24.2メートル、昇降差は23メートルである。本橋の設計施行に中心的役割を果たしたのは、鉄道技師の釘宮磐(鉄道省熊本建設事務所長)であった。竣工当時は「東洋一の可動式鉄橋」と呼ばれた。また、この筑後川昇開橋の構造を解説するために精巧な模型が交通博物館(閉館)及び鉄道博物館(埼玉県さいたま市)で展示されている。ちなみに、昇開橋の精巧模型は1937年にフランス・パリで行われたパリ万博に出展されたものである。
建設するにあたっては、位置的に筑後川の河口付近で、有明海の潮の干満の影響も直に受ける地理的条件があり、しかも、付近には港もあり、建設当時は船が主要交通機関であったため、大型船の往来も激しかった。通常の橋だと干満の影響で船が通れなくなってしまう可能性があったため、中央部の橋が稼動して船が通れる構造になった。
しかし、国鉄の民営化を前に1987年3月27日限りで佐賀線は廃線となり、同橋梁も閉鎖され、筑後川を管理する当時の建設省からも撤去勧告がなされ、解体も検討されたが、地元では橋存続の要望が強く、1996年(平成8年)に遊歩道として復活し、現在では大川市と諸富町のシンボル的存在である。また、橋の両端には公園が整備されていて、現役当時の橋の姿のモニュメントや佐賀線に使われていた3灯式信号機や警報機などが保存されている。
2003年(平成15年)に、国の重要文化財に指定され、2007年(平成19年)に日本機械学会より機械遺産に認定された。
ちなみに、筑後川昇開橋から大川方面に1kmほど進んだところに花宗川があり、佐賀線が廃止されるまでそこには跳開橋(跳ね橋)が設けられていたが、廃止から数年後に撤去され面影も残っていない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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Foto muito bonita, fiquei impressionado com o summ da maquina, local admiravel, ~José Bento Beraldi - Goioere - Paraná - Brasil
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矢岳駅(やたけえき)は、熊本県人吉市矢岳町にある、九州旅客鉄道肥薩線(えびの高原線)の駅。 肥薩線の山線と呼ばれる険しい区間にある駅の一つで、肥薩線で最も高く標高約536.9mの地点に位置する。かつては列車同士の行き違いも可能であったが、ホーム1面に線路1線のみの無人駅となっている。
駅構内に蒸気機関車の展示館があり、D51型170号機が展示されている。並べて展示されていた8620型58654号機は、1988年に現役復帰してSLあそBOYなどの牽引機として活躍していたが、2005年8月28日に引退した。 駅正面に小さな集落と田畑がある。鉄道開通までは陸の孤島であったというが開通と同時に集落が形成され既に大正時代半ばには駅弁販売も行われていたが海線の開通と共に肥薩線利用者も激減し現在は当集落も過疎化が進み付近の矢岳小学校は休校となっている。
矢岳駅より少し南側の踏切付近に熊本県と宮崎県の県境があり、そのすぐ南側に矢岳第一トンネルがある。日本の鉄道の初期に建設されたこのトンネルは難工事を極め、多数の犠牲者を出したほか、異常出水によって資材運搬用の馬が荷物ごと押し流されてしまったという話も残る。観光列車「いさぶろう」・「しんぺい」の名前の由来となった山縣伊三郎と後藤新平のそれぞれの筆による扁額「天険若夷」と「引重致遠」は、このトンネルの難工事を労るものでもある。なお扁額の意味は、「天下の険しい難所を平地のようにした」・「重い物を引いて遠くへ至ることが出来る」とのことである。
この付近の東側2kmほどに肥薩線と平行して九州自動車道加久藤トンネルが通る。
矢岳第一トンネルと矢岳第二トンネルの間からは日本三大車窓のひとつ・矢岳越えからの霧島連山とえびの高原の絶景を望むことが出来る。ここで「いさぶろう」・「しんぺい」は一時停止して車窓を満喫できるサービスを行っている。天気が良ければ桜島、さらに条件が重なれば開聞岳までも望むことが出来る。
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